人生を語らず

前回のニッキを書いた時に珍しくコメントをいただいて、マイナス思考だから読者が減るんだよと言われ、まあそうだよな、ウジウジしてるおじさんのニッキを見てもつまんないだけだし、僕はそのマイナス思考(僕はマイナス思考とは思わずに現実を直視してるつもりなんだけど)をこうやって公開している以上はそれなりにおもしろく書こうと思ってるんだけど、それが伝わんないのは僕の実力がないわけなので、自分の文才をもっと鍛えようと思います。一方で落ち込まないでくださいって優しい言葉をつけてくれた方には感謝します、だいたい僕がこうやってニッキ書いてるのは気分が下がってるときなので!

お花見の時期ですね、お花見の時期って残酷なんですよ、人の人気不人気がすぐわかるので。

最近はどうかわかんないけど、代々木公園で、あっちこっちに顔出さなきゃ的な人いるでしょ、ああ顔広いんだなって思った。僕はそうなりたいのかっていうとあっちこっちに顔出さなきゃって言う人よりかは、みんなに挨拶してもらえるくらいの人になりたいんだけど、そんなに人脈も人気もないわけでそんなことはあるはずはないからそんなことはおいておく。

お花見ってやる時期が限られているから、人気のある人って複数から同じ日程で誘いがあるわけで、僕はそんな複数の人から誘われることがないから、予定の調整とかしたことないんですよ。うらやましいよね。

お花見の誘いの複数はないけど、別の機会でたまにお誘いが重なるときがあるわけですよ、僕はそういうときは先約を優先するんですけど、先約があっても魅力的な方を優先する人もいるんですってね。そりゃかわい子ちゃんがいた方が気持ちもアガるし楽しいのはわかるけど、それって先約の人に失礼な話じゃないですか、でもホモさんの世界ではそれがまかりとおっているような気がして、僕の考えが間違っているのかなって思うんです。

花見の話じゃないけど、たいしくん誘ってよー、っていう人を誘ったら、予定が入るかもしれないって返信がくることがあって、かもしれないってなんやねん、いま僕は確定の予定を入れようとしているのに、それって僕のことをないがしろにしてるってことじゃないですか、彼はそれを自然にやってるから誰もとがめる人がいなかったんだと思うし、彼が魅力的に思う人にはその一面を見せていないわけだし、そりゃ誰もとがめないわな、それをとがめる人は自分が魅力的な人じゃないって認めるわけだもの、それをとがめる人間を卑屈だって言葉で片付ける人たちも嫌だなって思いますが、この僕のニッキを見てみんなはどう思うのかなあ、人気者はそもそもこんなニッキ読んでないだろうけどたまたま目にしてまた僕が卑屈になってると思うのかなあ、別に卑屈扱いされてもいいけど、僕は僕の誠実さと不人気さを貫く!

ツイッターのフォロワーは273人いるはずなんですがブログを読んでくれている人はとうとう15人になりました。

会社の大人数の飲み会では、どうしてもいつも少人数の方の盛り上げ役的なポジションになってるんですが、盛り上げているかどうかもよくわかりません。

自分の良いところってなんだろうなって思うんですが、答えってみんなどうやって見つけてるんだろ、みんな持ってるのかな。それとも諦めてるのかな。

僕の良いところは、他の人よりもほんの少しばかり文章が上手に書けるところなのかもなって思ってたけど、みずみずしい感性もどこかにいってしまって、もう読んでくれる人も少なくなっちゃって、ちょっとだけあった自信というか自分の良さももうどんどん無くなってきちゃってるのかなと思っても、どうすればみんな読んでくれるのか、こんなこと書いてること自体ダメなんだけど、もうダメだなって思う。

どんな線を描く?

僕の一生懸命なブログを見てくれている約20人の方々、あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。

 

LINEの返信よりもSNSの投稿の方が楽だし、SNSを投稿してるのにLINE返信しないことを咎める方がおかしいと最近の人達は考えてるみたいだから、ああそんなもんなのかなと思ってたんですけど、それっておかしいよ、それはたいしくんのこと蔑ろにしてるってことだよ、と言われて、ああ令和になっても大切なことは変わってなかったんだなってちょっとうれしかった。

いろんな人からのいいねよりも、好きな人からの連絡の方がずっとうれしいのになって思って気づいた、僕はその人の好きな人になれてなくて、ただのクソリプおじさんだったんだなって。蔑ろにされているんじゃなくてなんとも思われていない、むしろめんどくさいやつと思われてたのかもと思うと、自分の空回り具合に情けなくなる。

また今度もダメかもなって、次に移る準備をしている。それは移り気だからなんかじゃなくて真剣さだからこそだって思ってる。もうあんまり時間が無いって焦ってる。新潟で買ってきたお土産、喜んでくれるといいな。

 

ショートホープ

幼稚園のときの僕の夢はコックさんになることで、いつの間にかその夢が学校の先生になることで、大学進学もそれを夢見て教員になれるような学校に進学した。

中学校の教員免許を取るためには介護施設での実習と、あとなんかの実習(たぶん明確な定義があったはず)をやる必要があって、後者の実習の中で、僕はフリースクールでの最低5日間の実習を選んだ。ちなみにすぼらな性格のせいで介護施設での実習を申し込まなかったせいで、中学の教員免許は取れなかった、他の単位は全部取ったんだけど。

んでこのフリースクールでの実習がハマった。5日間どころか相当通った。楽しかった。子どもたちに受け入れてもらえるのがうれしかった。

でも途中でやめちゃった。たぶん僕がここでやっていける自信がなかったからだと思う。

僕は学校の先生になりたかった。自分の小さい頃の記憶を振り返ると、その当時からすると悪い意味で変わった子、周りから浮く子だった。家庭訪問で来た先生から「たいしくんはかしこすぎて周りから浮いてます」と言われていたのを狭い実家で聞こえてきたのを今でもおぼえているし、そのときはどういう意味かよくわからなかったけど、何年か経ってから反芻のごとく今でも思い出す。確かに僕は浮いていた。

そんな浮いていた僕が周りに馴染めずに困っているときに救ってくれた学校の先生たちが少なからずいた。そういう先生になりたいなと思って、学校の先生を目指そうと思って大学に進学した。

大学に進学して、ここだいぶ端折るけど、塾の先生になって、他の先生(笑)から生徒を巻き込んで嫌がらせを受けた。結局、先生って人気取りなんだなって思った。周りの色に馴染めない子どもたちを救おうと思っても、僕は多数派には勝てない、無力な人間なんだなと思うと、僕はしんどい思いをする子どもたちに何も教えられないなと思った。だって多数派に入れた方が人生楽しいんだし、そうできる術を持っていなかった、自分らしくなんてきれいごとが通用するわけないよなって思った。

というわけで僕は夢見ていた学校の先生になっても自分がしんどい思いをするわけだし、僕が教えた生徒たちが幸せになるかというとそうなるわけでもないと思ったし、そうなる自信もなくなったので、わりとあっさり教師になろうとは思わなくなった。そして僕はなにになりたいわけでもなく、ただ進学したからには教員免許を取るという理由があったのでそのために単位は取る。そこは貫く。どういうつもりで就職活動をしたのかはもう昔のことだから覚えてないよね!

んで、単位取らなきゃだからなんかの実習のためにフリースクールに行った。んでこれがハマった。楽しかった。5日間どころか相当通った。たぶんそこの市の教員の人から、ここでもっと続けてくれないかっていう話があった。なのに断っちゃった。僕には就職活動があった。だって僕は人の人生背負えないんだもん。そんな自信はなかったから逃げた。

僕がフリースクールに通い始めてから少し経ってから入ってきた子がいた。なぜか僕のことを慕ってくれていた気がする。ちょっと潔癖なところがあって、なにか触るときにビニールの手袋をしなくちゃだめな子だったんだけど、なにかのきっかけで外してみよっかなって言ったときはすごくうれしかった。なにかのきっかけに僕が少しでも関与できたのであれば良かったなって思う。

ふと彼のことを思い出して名前を調べてみたら、もう彼も30代半ば、不登校の人たちを支援する立場になっていた。かわいらしい顔つきが成長して大人の顔つきになっていて、でも彼の中でもまだ過去の苦しみが残っているみたいだった。彼の書いている文章を読んだら、多感な時期にもっと大人と話をしたかった、と書いてあった。彼よりも少し大人だったはずの僕が、僕のことをたぶん慕ってくれていた彼にもっと話をしていればよかったのかな、逃げ出したハタチの僕にもっとできることがあったのかな、そのときから2倍年老いた自分に問いかけたってなにもわかりゃしないし、成長した彼に連絡する勇気もなく、ああやっぱり僕は教師にならなくて良かったし、なるべき人間じゃなかったなって思う。

そっちの世界はいったいどんなんだい?

四国から関東に転勤になった同期と、東京にいる同期とプチ歓迎会をしてきた。

いつもの悪ノリで片っ端から同期に電話し始める。オーストラリアにいてもう夜中なのに出てくれたり、普段は電話する用事もない部署のやつが何事かと思って出てくれたり、入社した頃は相性悪かったのに今じゃなんかあったらやりとりしたりするやつとか、10人くらいかいない同期の何人かに無理やり電話かけて楽しかった。

僕が入社以来仲の良かった子、院卒だったから2つ年上だから、仲の良い連中からは兄さんって呼んでて、ほんとはそいつと話したいんだけど、そいつはもういないから、どんだけ願ったって話ができないし、なんで死んじゃったのかもよくわかんないし、奥さんとも一緒に旅行したし家に遊びにも行ったし、僕が転勤で関東離れてるときに子どもができて子煩悩だったし、同期会やるよーっていうときに僕がちょっと強引に誘ったときも誘ってくれてうれしかったって言ってくれたし、なんで兄さん奥さんも子どももいるのに死んじゃったのかわかんないし、あんたあともうちょっと生きてりゃ同じフロアであんたのこともっと見てられたし、僕はあのときなにかできたのか、なにかできなかったのかってずっと思ってるし、あのときなにもできなったまわりのやつらのことを知ってるから、僕はいまさらだけどなにかできないのかなってずっと思ってる。

燃えしめよゆるがままに

歌が下手な話。

 

歌うのが好きだったので大学のときにアカペラサークルに入ったんだけどこれが大失敗だったわけですよ。

音感が悪いからハモんないの。みんな音楽経験者だからできない僕とは誰も組んでくれないの。習い事でだいたいやりたいってことをやらせてくれたんだけど、せまい団地で三交替していた父親のこともあってピアノをやらせてもらえなかったの。お小遣い貯めて買ったアイワのコンポが若干音低かったの。

カラオケの点数ってのは残酷で、それなりに歌えてかなって思ってもちゃんと現実を突きつけてきて、音感が悪くて誰も一緒に組んでくれなかった学生時代を思い出す。音を楽しむっていう言葉が嫌味に聞こえる。それなりの裕福な家庭じゃないと音楽ってできないんだなって今でも思ってる。

下手なりにもメンバー集めて楽譜にもドレミ書かないとわかんないくせに超素人の編曲して専門家にもちろんダメ出しされたのに4年間アカペラやり続けたのはやっぱ歌うのが楽しかったのかなって思う。

僕が誇りだったのは、ストリートライブ(笑)してたら、意外と僕が歌うときに子どもとかおじいちゃんおばあちゃんが集まってきてくれたこと。

カラオケ上手な人が集まるお店で、僕だけが90点を超えずに自分の今までを恨みながら、下手くそな僕の歌声のことを好きって言ってくれた数少ない人達のことを思い出したし、昔の嫌な記憶も思い出したし、カラオケで点数付けられるのって僕にとっては卑屈スイッチになりかねないからもうやめといた方がいいのかなって思った。

痛みはチョコにして食え

卑屈な話。

僕にとっては卑屈な話で片付けてほしくない話。

同級生がたまたま3人集まったので、同級生会やろうよって言ってたんだけど、僕以外は平日休みの人達だったのでなかなか誘われない。

僕は自称フッ軽(笑)なので、平日であろうとなんだろうと予定が空いてればいつでも参加するよって言ってるのに全然誘われない。

そんなこんなでインスタ(笑)見てると、同級生会だったはずが、同期生じゃないみんなで楽しそうに飲んでる写真が流れてくるわけで、アスペな僕もさすがにそこまでバカじゃないからようやく気づく、ああ僕はお呼びじゃなかったんだなって。

僕がダメだから呼ばれなかったってわかってるんだけど、それを5年も経ってからなんであのとき呼んでくれなかったの?って尋ねる僕はやっぱりそんなんだからダメなんでしょうか。

「呼ばなかったのは俺のせいじゃないよ」っていう弁明を聞いて、あ、やっぱり僕のことを呼びたくなかった人がいたんだ、僕のことを呼びたくなかった人の方を僕より優先したんだ、って思う僕は卑屈なんでしょうか。こういう経験をしていて僕のことを卑屈になっちゃダメだよっていう人は無責任じゃないですか、僕を卑屈にしちゃったのは誰なんですか、それは僕自身だってわかってるようでわかってないわけで、理由がわかんないからわかりようもなくて、なんかまたしんどくなっていく。